自分はSNSを当初からメリットよりデメリットの方が多いと感じやっていないが、今コロナもありネットに接する時間が世の中で増えたのか、いろんなことへの誹謗中傷がでてきている。
そこに対して、それを嘆く輩がいる。わからないことはない。でも、人間の心や言いたいことを自由に言えるという大前提があるSNSという仕組みを考えたら、それを嘆く人がおかしいと思うのである。ほめたたえ合うだけのコミュニケーションを全員がやる世界をSNSの理想だと思っているのか?喜怒哀楽、好みも千差万別あっての、自由な未熟な世界がSNSである限り、誹謗中傷を嘆いても仕方ない。それは性だから。という自分もそういうものを目にしているから、こういうことを思うのだが。ただし、自分は直接そこに触れるような生き方をしていないというだけのことである。
他人のことを誹謗中傷しているものを読むのは本当に心苦しいのだろうか?全くの他人である芸能人や政治家が全く無責任に叩かれれているのを読むのは、面白い世界だと心のどこかで思っているに違いないと思う。本当に嫌なことは人間は目を背けるし、近づきもしないからだ。誹謗中傷も楽しいし、それを非難するコメントも楽しい。そんな深層心理が働いているとしか思えない。
一方、それでは世の中がよろしくならないということで、制度として規制しようという動きが出てくるのは理解できる。所詮人間がやることである限り、”善意”にだけ訴えかけても限界があるからだ。どこかのタイミングでかつて自由だったSNSが無くなる時期がくるような気はしている。それはかつて自由だった様々なことが、今やコンプライアンスだハラスメントだといってなくなってしまったように。デジタルで全てが紐づけされる便利な時代だからこそ、個々人の自由も監視され赤裸々に出てしまうことになるだろう。新しい価値観や管理が求められるのは時代の流れで仕方がない。
その過渡期なんだろう。
未来大吉