コロナの状況によっては自分の働いているロシア現地法人でもリストラなどを検討しなくてはならなくはなっている。
内内ではその議論も始まっている。
アメリカやその他の国の多少の経験と比較をすると、ロシア人の気質の違いを感じることがある。それは、リストラについても、基本的にはやりたくない。やらないでいくという考えが先に立つ。もちろんアメリカでもどこでも同じなのではあるが、感覚的な違いがある。結果を出すためにはリストラをやらなくてはならないということだとしても、それが前提になるのか、それを最後にもっていくあくまでも”感覚”の話である。
ロシア人にとっては仕事への価値観、人への価値観で、”家族的”なつながりを持つ感覚が諸外国より大きいような感覚を持つ。ロシア人の国民性を調べれば、その歴史的背景、戦争、侵略、農耕民族、広大かつ極寒の土地、そういう要素からいろいろ語られているが、根底には、人に対する思いやつながりを大切にしていることが現地で働いていると感じるのだ。具体的にといわれると、よくあるような、かならず誕生日を職場で祝ったりなどの現象を語ることは、着任3か月の自分でも少なからずあるが、自分か感じていることは、何気ない気づかいやリストラのような話も含めて議論をしているときに、優先させる価値観のようなものだ。
ロシア人は一体なんのために働くのだろう?それは日本人は?とか大きなくくりで語るには無理があるが、それをあえてモデル化してステレオタイプ的に考えるとしたら、根本は自分自身の幸せのためであり、その幸せは、人々との繋がりがあってこそという感覚が強いのではかろうか。
当たり前だと言われてしまえば、そのとおりなのだが、その些細な違いがロシア人と働く、またロシアという国と働く上では大事な些細な理解だと思うのである。
ロシアにおけるコロナの感染は広がっていく一方で、今日時点ではおそらく世界で7番目くらいの感染者になっているようだ。
もちろんこの感染者という数字自体の比較にあまり意味を持たないことは言うまでもないことだが、大事なことは、それにどのような対応をしていくかだ。
ロシアは統制が利く国でもある。また困難な状況であると力を発揮することができる国民性でもあるような気がする。
アフターコロナの時代のロシアがどのような変化を遂げるのかを見ていくことはとても有意義なことだと感じるのである。
未来大吉