miraidaikichiのブログ

ロシアンルーレットな未来 ~Будущее за русской рулеткой~

ロシアンルーレットな未来:仕事とは”理想”と”現実”

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ステーキランチ

 仕事は一体何のためにやるのか?学生のときにも、そして50歳を超えた今でも、その時代時代に即して人は常に考えるものだと思う。

マズローの5段階欲求の上位層の方をあえて理想ととらえ、下位層を現実ととらえるなら、生きがいややりがい、仕事の意義を自分の思想や哲学に合わせて徹底的に模索していくことが理想に近い。そしてそれを突き詰めていくことは本当に重要なことである。一方、今日、明日、人間は毎日、食事をし、寝て、税金を納め、様々なことで所属している社会に対価として還元しないと生きていけないのである。それが生きる上での最低限の現実だ。

幼児なら、”将来はスーパーヒーローになりたい”でいいのだが、大学卒業まぎわでそれを言うひとはいないだろう。もうプロ野球選手やアイドルという現実的な職業ですら、自分が通ってきた道から外れたことは言わないはずだ。

親から守られてきた時が、あるタイミングで急に自分ひとりで社会に対価を戻さなくてはならない現実が覆いかぶさり、昨日まで語っていた”理想”などは吹き飛び、やっと入れた会社や組織がブラックだとしても、簡単にはやめられない。”現実”を生きていかないといけないからだ。そんなときに、仕事を哲学的に語っている暇はない。それが大人になるっていう側面だ。

そうやって、子供から大人になるにあたり、”理想”と”現実”の中での折り合いをつけて様々な選択をしていくのだ。

すなわち、”理想”からスタートしたことが大人になるにつれて”現実”を生きることになる。しかし、人生も折り返し、終盤に近付くと、また”理想”を徹底的に考えたくなるのだ。それは、ある程度、生活という現実が落ち着き、子供も巣立ち、必死になる”現実”が減ってくるのかもしれない。いや、この年金や老後の不安から考えると、その”現実”はいつまでも消えないのが実態でもある。

しかし、人生50年も”現実”を生きると、どこかで最後には”理想”を追い求めて、それでもしダメだとしたならば、意味なく延命をしてまでも”現実”を生きなくてもいいのでは?という考えが多少でてくる。

生きるか死ぬかという現実の話というより、やはり、最後の方になれば、本当の意味において仕事をするという”理想”を考えてみることが大事になると思う。

大人になってからの”理想”は決して「スーパーヒーローになりたい」という類のものではなくなっており、成熟された内面の課題を考えられるようになるからだと思う。

 

未来大吉