miraidaikichiのブログ

ロシアンルーレットな未来 ~Будущее за русской рулеткой~

ロシアンルーレットな未来:孤独死

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Living Room

 コロナでロシアで単身赴任自宅待機期間が長くなる。突然「孤独死」への理解が深まった気がした。ロシアで自宅で家族はいない。外にもほとんど出ない。もちろん近所の付き合いもなければ、プライベートを共有するような日本人の知り合いいない。

ただネットのありがたみで、物理的に離れている家族や友人とはつながる。そして幸いにも月曜から金曜日は在宅ではあるが、ここロシアの会社での仕事がある。

それ以外は、とにかく外出をすることがないので、毎日の生活を粛々としている。朝起き、顔を洗い、食事をし、炊事、洗濯、掃除、買い物、基本的な生活を淡々を遂行していく。ふと考えたのだ。もし、それで、週5の仕事がなかったとしよう。そしてつながる家族がなかったとしよう。プライベートを共有する友人がいなかったとしよう。

淡々と生活を進めていく。もちろん、それでも衣食住がそろっていることは最低限の贅沢だとも考える。しかし、そんなことを繰り返していくと、自分はなんのために生きているのだろうと考えることも想像できる。思うことは過去の楽しい思い出。未来はもう描けない。そしてなによりも、そういう思いや考えを共有できる人との繋がりを実感できなくなったときに、”別に死んでももういいのかな”って思うこともある気がする。

この世にたった一回しかない人生なんだから、限りあるだけ大切に過ごしていきたいと思う考えは当然だ。しかし、人は”孤独”を感じたときには生きる目的を失うのだろうと思う。”おひとり様”や”単独行動”が好きな人が多いのはよくわかる。自分自身がそうだからだ。しかし、孤独と単独はあきらかに違う。単独は世の中とはつながっているのだ。ゾンビ映画で、人が希望をもって生きようとするのは、きっとどこかに同じように生きている人がいると信じられるから。もし、地球の人類が滅亡したとわかったら、その瞬間生きる希望は消え去るのだろう。映画”猿の惑星”の最後でチャールストンヘストン演じる宇宙飛行士が感じたように。

 

 未来大吉