miraidaikichiのブログ

ロシアンルーレットな未来 ~Будущее за русской рулеткой~

ロシアンルーレットな未来:コロナ対策での一考

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Friday Night

 とにかく今の関心事はコロナが中心となっている。その中で、感染者、死者数などのデータ、それに対する国の対応などが比較論としてもメディアで取り上げられる。しかし、国の対応というざくっとした比較論に違和感を持っている。そもそも”国”の対応とはどういうことだろうか?一般論としては政府の対策のことを示している。しかし、風土や国民性、歴史、法律や体制など国によって異なることを単純化した比較に意味はそれほど多くはもたないと考える。”国”の対応を考えたときには、

  • 国家レベル(政治)
  • 組織レベル(社会的所属)
  • 家庭レベル(個人的所属)
  • 個人レベル(個人)

の総合力で結果が出るものだろう。医療体制や検査というのも上記のどこかに含まれる。結局、国が要請だろうと法的に規制しようと、組織、家庭、最後には個人レベルに落とし込んで一人ひとりが行動に移さないと結果は出てこない。

感染者や死者に対する数字もあり、死者が少なければいいだろうという議論もある。あくまで比較論として(杉村太蔵的な)。なぜ韓国のような検査ができないのか?という意見もあれば、検査だけではなく、韓国的監視体制をセットで本当に望むのか?という議論も出てくる。要するに、どこかを議論として切り出せば、必ず、違う切り出しで議論はできてしまうものだ。

どれも決して間違ってはいないし、そういう議論を繰り返すことで世の中が改善するのだろう。

一つ言えることは、どんなレベルであろうと、おそらく、そこにいる人はその人なりに最大の努力をしているという意識はあるのだろう。それが他者から見て、そうは見えなくても。。養護するわけではないが、パチンコにわかっても行ってしまう人も、彼らなりの価値観の最大の努力の結果、そうしてしまっているという現実があるだけだと思う。

では、どう考えるのか。

そうした中で、自分の居場所、国や組織、家族、が結果として幸せなのかどうかということだと思う。コロナはわかりやすい試練だ。そういった中でも自分の人生が幸せな環境なのかどうかということ。

そう考えると、今、自分はロシアにはいるが、日本という国は日本人の様々な歴史や国民性の上に今、成り立って、それを国民が選んだ状況にあるなら、改善、改革の必要性は常にありながらも、それほど悪くはない国だと思えるのだ。

政府に不満があれば、次の選挙で変えればいい。所属している組織に不満があれば、改善提案、行動、もしくは変えてしまう。

自分たちに与えられているのは、現状に対する不満を打ち上げることではなく、それをどうよい自分の幸せな未来につなげるかだけしかないのである。

 

未来大吉