1か月前は、Afterコロナだよね。といろんな想像を働かせていた。このコロナが終息した後の世界は価値観も含めガラッと変わるのだろうと。そのAfterという感覚が漠然と数か月とか半年とかという感覚でいたからだと思う。しかし、ここ最近はWithコロナという感覚の方が近く、それが実態だろうと世の中も思うようになった。
当然、いつの日かコロナに対する免疫もできワクチンも開発される日はくるだろう。Afterコロナにおいては、そうだとしても、今回のコロナによる価値観の変化があまりにも大きく、さまざまなシステムが変化することは予想していた。
しかし、今回のコロナの恐怖、不安というものを長期的に植え付けれれていくと、きっともうAfterではなく、かなりの時間をWith(またいつか起こるかわからないコロナ的恐怖と不安)という感覚で生活が進んでいくと想像する。
人々との接触は減り、本能的な防衛本能が働き、そういう不安や恐怖が人間関係の形に影響を与え、もう昔のような形ではないもの。そう決して”終息”をベースにしたAfterということではなく、”継続”をベースとしたWithということがかなりの長い間世界を覆いかぶせる気がする。
エイズ(HIV)が出たとき、また911のようなテロが起きたとき、人々はしばらくの間、その影響を受けながら生きていた。しかし、時間とともにどこか風化され、対応し、また平穏な時間を取り戻してきたと思う。
しかし、エイズも911もどこか自分の日常とは少しだけ離れている世界のことだったという感覚はあっただろう。しかし、そこがコロナが違うところ。現在のコロナにワクチンができ、現在のインフルエンザ的な位置になる日が来たとしても、常に新型ウイルスがいつ、どこからやってくるのかがわからない世界であるということから、そもそもそこに対して防衛反応をする世の中になるのではないのだろうか。
未来大吉