理不尽なことやハプニングは土地が変われば常に起きる。その度に人は傷ついたり、落ち込んだり、怒りがでてきたりと、ネガティブな空気に包まれるものだ。
そういうとき、それをまるでドラマの1シーンのようにとらえ、あくまで自分はそれを演じている役者なのだと思うことにしている。
実は、会社で支給されている携帯をタクシーに落としてしまった。それはそれで対処はしたからよいのだが、現地の会社から、会社のルールとしてなくした場合や壊した場合は社員の責任でその分のお金を払えという。
まず駐在員の規定ではありえないし、ま、考えてみても、なぜ減価償却するものにたいして満額を社員が払わなければならないのだろう?という疑問もある。
パソコン等もそうだという。万が一、なにかあったら社員が現金で返すルールだと。
そんなルールに従うつもりもないと戦うこともできるし、こちとらなんといってもご本社様からの派遣で駐在員規定は別にある!!と戦うことはできる。
またまだ慣れていないロシアで引き継ぎも含めて地方の都市へ出張が決まっていたが、前日の夜になって本来行く人が「俺はキャンセルしたから」と言ってきた。
「冗談じゃない!?」「どうやって行くのですか?」という思いもふつふつと湧いてくる。
しかし、そこだ。このような理不尽やハプニングが起きたときに、すぐに心で思うのだ。「これは神様が与えてくれた成長や新しい発見へのチャンスだ」と。
携帯については無くしたのは自分が悪い。そこに対しての戒めだと思い、お金を払うことのほうが後々の自分にとって良い方向で残る気がする。
出張キャンセルについてもだ。どちらの方も、悪気がない。相手を困らせようとしてやっていることではないからだ。
そういう流れに自分がたまたまいてしまったということだ。
そう。それは運命的に避けられないこと。そして、それはきっと神様が意味があって与えたものだと。
そうして苦労しているシーンを”演じる”ことをすればいいのだ。
「カット!」といって撮り直しをしてくれることはないだろうが、それが自分に成長を与えてくれるものだから。人生など、ドラマのようなもの。
主人公は自分で、良いこともあれば、悪いこともある。
だから最終回にはハッピーエンドになるのだから。
人生は総じてそんなもの。
未来大吉