ロシアに来て日本の会社の現地法人に日本人としては一人で働くことになる。現地人スタッフが直接部下にもなる。かなりの人数にも上る。
来て、まだ2週間だが、どれだけロシア人というのは自分の今までの日本、また米国での経験の感覚、価値観が通用する、また受け入れられる、ネガティブに取られる。等々の案配がまだつかめていない。
いくつか出た会議や議論、ワンオンワンでは、意外と自分の感覚と違わない部分も見れるし、またPDCAやマーケティング戦略の考え方などは、「本当にこんな程度で大丈夫なのかな~」と見えてしまうこともある
一つひとつの場面で、疑問に感じることや、言いたくなることも出てくる。
しかし、大切なことはまずは立場や役割ではなく、自分という人間が人として理解され、受け入れられることがまずは大切なことだろうと思って、今は、どんなことも静観していこうと思う。
瞬発力的に意見を戦わせたり、自分を出したりすることは、受け入れられ戦略としては間違うことが多い。
急がば回れじゃないが、良い営業マンは、人としての価値を商品やサービスを紹介する前に売り込むものだ。
マネジメントも同じこと。
場所や人種に関わらず、これが日本国内だとしても、異動で「私が今日からあなたがたの上司です」とアプローチしても、受け入れられる時代ではない。
少なくとも、うん十年前の自分ですら、そんな上司を好んだことはない。
時代が変わり、「最近の若者は・・・」という話がよく出るが、自分は若者の感覚などどの時代もそれほど変わらないのではないかと思う。
人は昔から、そんなに他人の価値観の押し付けに納得も感動もしないものだ。
評価や報償で縛られているからワークしてきたのだ。要はシステムだ。
こうしてロシアに来て、自分がやりたいことは目先の形ではない。
どうやったら本気でここにいる現地のロシア人スタッフと立場や役割、人種を意識しないで、尊敬できる関係が構築できるかがより大事なテーマである。
だから、まだまだロシア人現地人の言動や活動に、いちいち口出すつもりはないのである。意見として感想を言う程度にしておこう。
人は、納得がなければ心からは動かない。なんのため仕事をしているのか?20代、30代、40代では、お金のためだ、生活のためだ、世の中のため、お客のため、儲かるため、株主のため、いろいろゴタクを並べてその時々に納得もするのだ。
しかし、今の自分はこのロシアという場所で、人と人としての関係を通して、関わった人が人生で出会えたこと、一緒に仕事ができたことを宝物だと思えるような形に残したいと思っている。
仕事というのはそういうもので、数字や成果は大事だが、それすら、幸福のための一手段だとして思っているのである。
こういう甘いことをこの年になって再び言えるようになったのが1周回ってという話なんだろう。
未来大吉